日本管区の50年
これまでウニオーネの会員としてご参加くださっている皆様、
その発展にご協力くださっているすべての皆様に感謝しながら、
過去50年の歴史を振り返ります。
発足当時の思い出
UNIONE40周年誌より
大久保 苑子氏 インタビュー
記念誌編集部より
10年前、発足40周年を記念して発行されたウニオーネ誌の中で、日本管区発足の段階からその活動に関わりウニオーネの基礎を築きあげて下さった方々を代表して、大久保苑子さん(ウニオーネ本部 第三代会長)に思い出を語って頂きました。
初期の方々のご苦労を歴史の中に記録するため、その記事を一部修正して再掲致します。
ウニオーネ日本管区の発足はどのように行われたのですか?
正式には1972年に扶助者聖母会同窓会日本管区連合として世界連合に加盟しました。
でもその準備は三年前から始まっておりました。
いきさつはこうなんです。
サレジアン・シスターズ、当時は扶助者聖母会といっておりましたが、その日本 管区長になられたシスター・モニカ平手が、イタリアに本部を置くウニオーネという同窓会の組織が世界中にあることをご存じで、扶助者聖母会の創立百周年を 記念する1972年に日本でも発足させたいというお考えをお持ちだったんです。
そのお話をお聞きして早速Sr.小池緑のお力をお借りし、有志でウニオーネ立ち上げの準備を始め、形の整ってきた段階で1972年のローマでの総会にSr.小池と当時ローマ在住だった同窓生石山小夜子さんに参加して頂きました。
最も苦労なさったのはどのようなことですか?
既に同窓会組織を持つサレジアン・シスターズの学校や施設などの事業所は日本に8カ所あり、それぞれいわゆる日本式の同窓会の活動をしていました。
それが、ある時から急に「私たちはウニオーネという組織の会員なんです」と言われてもなかなか理解することは出来ませんよね。
管区本部の委員を仰せつかった私たちでさえ、ウニオーネという言葉を初めて聞くような状態でしたから・・・
どうしたら皆さんにご理解頂けるかということが、一番頭を痛めたことです。
1975年発行のウニオーネ誌創刊号にウニオーネの会則が掲載されていますね。
はい。やっとイタリア語のパンフレットを手に入れましたので、何か月もかけて日本語版を作成しました。
翻訳は金子シスターがご尽力くださいました。
ここに当時の規則書、通称「縄のパンフレット」をお持ちしましたからご覧になってください。
日本の8つの同窓会の方々にウニオーネの精神をお伝えするためには、 本部が発行している同窓会機関誌「ウニオーネ」というパイプしかありませんでしたので、発足当初は一年間に3回ウニオーネ誌を発行し、その中でウニオーネの精神をお伝えする記事を毎回掲載しました。
役員会や編集会議も何回も開きましたよ。
それでも同窓会とウニオーネが同じものだと皆さんに理解していただくのには、時間がかかったことと思います。
当時の支部長さんや役員の皆様が本当に大変な思いをなさりながら努力してくださったことに感謝しております。
ウニオーネ誌創刊の1975年の夏には、山中湖で研修を行っていますね。
ウニオーネ・エスティーボの始まりですか?
まだ名前はついていませんでしたが、確かにウニオーネ・エスティーボの始まりとも言えますね。
以前から赤羽の星美ホームが卒業生のために山中湖で夏のつどいを開いてくださっていたので、これをオープンにしてウニオーネ全体の卒業生に開放してくださったのだと記憶しています。
その年は各支部の支部長と本部役員が、ある方はお子さん連れで参加し、ウニオーネについての勉強会をし、翌日は子どもたちと一緒に工作などをして遊びました。
とても実りある会でした。
それが1978年から各支部が順番に担当する形になって、卒業生とその家族ならどなたでも自由に参加できるウニオーネ・エスティーボという活動になりました。
その後、巡礼も始まりましたね。
第一回目は湯布院を案内していただきました。
小百合ホーム卒業生の職員の方が運転してくださって、バスガイドも同窓生、明星学園の方が学校内で昼食を出してくださいました。
巡礼旅行のその時は参加者皆、学生時代に戻って、宗教的な世界にひたりましたね。
各支部が責任を持ってこのようなことを企画・実行するということは、大変なことではありますが、他の支部の方々との交流もあり、支部の活性化につながります。
発足間もない1978年にウニオーネ日本管区の第一回総会が開かれていますが、 準備など大変でしたでしょうね。
まだ組織も、会員の意識も十分でない時にイタリアから、日本の活動の状況を視察に来られるということで急きょ総会を開催することになりました。
まず、準備のために役員を決めました。
星美学園にお子さんを通わせておられる卒業生に集まっていただいて、ご協力を仰ぎました。
手紙で各支部の会長にお願いして、支部の活動ぶりのアルバムを作っていただいたり、お土産として各地方の特産品をご持参頂いたり、それはそれはたくさんのご協力を頂きました。
東京の役員の皆様にも、イタリアからのゲストのお出迎えやらお見送り、また各家庭に呼んでいただいたり、すでに亡くなられた方もいらっしゃいますが、あの時は本当にありがとうございましたと申し上げたいです。
イタリアからマードレや世界連合の会長・副会長が来て直接お話を伺ったことで、私たちと同じ精神で生きて行こうとする友が世界中に居ることを知り、日本の同窓会が文字通りウニオーネとしてひとつになったことを実感いたしました。
ウニオーネは今年(2012年当時)で40年を迎えます。
発足時から今日まで、影になり日向になり、ウニオーネに関わっていらして、
何をお感じになりますか?
思い返せば、何より各支部の皆様のご協力があればこそ、ここまでやってこられたという一語に尽きます。
感謝、感謝です。
私自身、これからもウニオーネの精神を、どう生かして日々を送ることができるかを考え続けてまいりたいと思います。
昨年の震災をきっかけに、日本に住む多くの人々が苦しみや喜びを分かち合う大切さに気付いたはずです。
これこそ、私たちが学んだウニオーネの精神だと思います。
ありがとうございました。
(記念誌編集部)
今私たちは先輩方が石を拾い、土をならして平らにしてくださった道を歩んでいます。
一人ではありません。隣には8つの事業所出身の家族がいます。
ウニオーネ50年の歴史を振り返るとき、この横の一致だけではなく縦につながる一致を強く感じます。
平らにしていただいた道の先に花を咲かせるのは今、そしてこれからこのウニオーネの道を歩む私たちです。
扶助者聖母会 同窓生 世界連合
日本管区 (通称 ウニオーネ)
50年の歩み
(1972 〜 2022)
「快活にしていますか」「よろこんでいますか」
快活、喜びは、主を愛している心のしるしです。
聖マリア・マザレロ
編 集 部 よ り
ここから、ウニオーネの50年間のあゆみを10年ごとに区切って振り返ります。
最初の10年(1972年〜1982年)
1972年
☆ 有志の方々による数年間の準備を経て
「扶助者聖母会同窓会世界連合 日本管区」として世界連合に加盟
(日本管区名を通称「ウニオーネ」とする)
★ 初代会長:荒川 昭子・デレガータ:Sr.日高 力枝
1975年
☆ 8支部組織化完成、本格的活動に入る
☆ 第1回評議員総会(赤羽星美ホームにて)
★ 第二代会長:片岡 和子・デレガータ:Sr.金子 美世子
☆ 日本管区連合機関誌「unione」創刊
☆ 山中湖星美ホームにて研修会:本部役員・支部長・デレガータ参加:以後2年間、山中で総会・研修会開催
1976年
★ 第三代会長:大久保 苑子
1978年
☆ ローマ本部よりマードレ・ガレッティ、ライモンド会長等4名の来日を得、赤羽にて日本管区総会開催(約250名参加)
☆ 山中湖にて、第1回「ウニオーネ エスティーボ」(夏のウニオーネ:同窓生とその家族の懇親の場)開催。以後毎年支部が輪番で企画・担当、1992年まで続く
1980年
★ 第四代会長:井上 裕子
1981年
★ デレガータ:Sr.古川 千恵子
20周年まで(1983年〜1992年)
1983年
★ 第五代会長:梅村 百合子
1987年
★ 第六代会長:小田切 佐知子
1988年
☆ ドン・ボスコ没後100周年の総会
☆ ローマの同窓生大会に参加
1991年
★ 第七代会長:永妻 洋子・デレガータ:Sr.田中 律子
30周年まで(1993年〜2002年)
1993年
☆ 本部から青少年司牧担当マードレ・ジョルジーナ、世界連合のデレガータと会長ロザデッレ・レッジェをお迎えして、第2回ウニオーネ日本管区総会開催。同時に会則勉強会・歓迎会開催
★ デレガータ:Sr.竹下 ふみ
1994年
☆ 「ウニオーネ巡礼と親睦の旅」開催(ウニオーネエスティーボに代えて隔年に開催。2012年まで9回続く)第1回目は「湯布院と豊後キリシタン巡礼」
1997年
☆ 同窓会世界連合 第2回総会(ローマ)総会にて宗映子 アジア地区代表評議員に選出される
★ 第八代会長:榎本 嘉子
1999年
☆ 第3回ウニオーネ交わりの会「チマッティ神父を通してドン・ボスコを知る」調布サレジオ神学院訪問
★ デレガータ:Sr.城所 逸廼
2000年
☆ 第4回「ウニオーネ巡礼と親睦の旅」神戸被災地訪問
★ 第九代会長:松永 朝子
2002年
☆ 「ウニオーネ日本管区連合発足30周年記念ドン・ボスコとマリア・マザレロの故郷を訪ねて」
40周年まで(2003年〜2012年)
2003年
★ 第十代会長:宗 映子・デレガータ:Sr.古川 千恵子
8月 世界連合第3回総会に宗、Sr.古川出席
2006年
★ 第十一代会長:磯貝 純子
2008年
☆ 世界連合創立100周年記念「同窓生の集い」開催
2009年
☆ 「同窓会世界連合創立100周年記念ソウルの姉妹校訪問と韓国キリスト教聖地巡礼」
★ デレガータ:Sr.城所 逸廼
2012年
★ 第十二代会長:宗 映子
50周年まで(2013年〜2022年)
2013年
☆ 第1回アジア・オセアニア地域同窓生大会(タイで開催)に本部から4名、支部から2名、そしてSr.城所が参加
★ デレガータ:Sr.鈴木 裕子
2015年
☆ 同窓会世界連合 第5回総会・評議員選挙(モルネーゼ)宗映子・吉田美保・Sr.鈴木・Sr.布留川参加
☆ ドン・ボスコ生誕200周年記念行事閉幕
ドン・ボスコ生誕200周年閉幕イベント(東京カテドラル)にて、
サレジオ会同窓会連合と協力して同窓会コーナー設置
2017年
★ デレガータ:Sr.小島 順子
2018年
☆ 第2回「ウニオーネ山中のつどい」開催(雪の聖母修道院にて)
2020年
★ 第十三代会長:伊佐 紀子
2021年
☆ 新型コロナ感染症蔓延のため、総会・集いは前年度に続いてオンラインで開催。
☆ 同窓会世界連合臨時総会(オンライン開催)にて会の名称変更決議。
☆ 日本では以降、正式名称を「扶助者聖母会同窓生世界連合モルネーゼ」とする。
2022年
☆ 50周年記念誌「ウニオーネ50年のあゆみ」発行。
8つの支部の紹介
姉妹である各支部の誕生と活動
日本のウニオーネを形づくっている8つの支部。
それぞれの支部の誕生と活動を知ることは ウニオーネを更に一致させ豊かにすることでしょう。
ウニオーネ 星美ホーム
星美ホーム 沿革
1929年 Sr.レティツィア・ベリアッティ他5名の宣教女がイタリアから来日(宮崎で宣教開始その後、大分県別府市へ)。乳幼児の養育を始める。
1940年 東京都荒川区三河島に星美学園落成。
1948年 児童福祉法による児童福祉施設「星美学園」として東京都知事より認可される。児童定員320名 乳児院乳児定員29名
1960年 学校法人星美学園から分離し、「社会福祉法人扶助者聖母会星美ホーム」と改称。
1995年 グループホーム ラウラハウス開設(赤羽北)
2005年 子育て短期支援事業北区子どもショートステイ・トワイライトステイ事業開始
2018年 小規模住居型児童養育事業(ファミリーホーム)の開始
2021年 星美ホーム 定員52名、グループホーム6棟 定員36名、ファミリーホーム2棟 定員12名
2022年 サローネ着工をめざして歩みを続ける。
同窓会の活動
星美ホームの同窓会の定例活動は、本体施設とサローネの改築に伴い、また、新型コロナ感染拡大にも配慮し、全て中止となりました。
その中でも卒園生との絆を大切にしたく、いろいろなプロジェクトを実施して繋がりを持っています。
☆ 成人を祝う会
1/10(祝)に開催した「成人を祝う会」では、8名の卒園生を迎え、オンラインを活用した中で職員や元担当職員、ボランティアさん等多くの参加者が集い、家族的雰囲気の中で新成人を祝う事が出来ました。
☆ 食料等配布会
特に若年層(退所後10年位)向けの行事の一つとして年4回(全10日間)の配布会を開催し、喜ばれています。
また、東京都の助成(子どもが輝く応援事業)を受け「つながりプロジェクト」を立上げ、退所者支援(食料配布事業)も継続して実施し、年間を通じて45人に食料等生活用品を配布する事が出来ました。
☆ 他にも、SNS(LINEやinstagram)を活用し、若年層向けの退所者支援の充実を目指し、情報の発信や相談業務を組織的に実施しています。
現在は、サローネが完成しグランドが整備される2023年の春に向け、新しい星美ホームの同窓会のスタートが切れるよう職員一同力を合わせて準備に取り組んでいます。
ウニオーネ 明星
湯の町別府の高台に、緑の木々に囲まれた白い校舎が、県下で唯一のミッションスクール、明星学園です。
1956年(昭和31年)春満開の桜の下、16歳の私は優しく微笑むSr.ソラリ・カルメラ校長様に迎えられて入学しました。
あれから幾年。懐かしい日々が思い起こされます。
明星学園 沿革
1954年(昭和29年) 学校法人明星学園設立 高等学校第一回生入学。
1985年(昭和60年) アフリカ難民のための募金活動開始(ひとにぎりの日)Sr.ソラリ・カルメラ永眠。追悼ミサ挙行。
1991年〜1997年 アーチェリー部アトランタ五輪へ出場。ボランティア活動をはじめ、箏部やバレー部の華々しい活躍。英語暗唱大会の優勝。
多くの生徒が、様々なことに打ち込み、書ききれない程の活躍をしました。
しかし、1990代後半より私学淘汰の時代に入ります。それと時を同じくして、
1998年(平成10年)1月に高校寮が全焼してしまいました。
苦難を乗り越え、学校法人別府大学附属高校と合併。
2001年2月18日明星学園閉校 11代目校長Sr.河野環を最後に、長き54年の歴史に幕を下ろしたのです。
中学校卒業者970名、高等学校卒業者5,671名でした。
こうして新たに「明豊中学高等学校」となり、早くも20年を超える月日が経ちました。
同窓会の活動
明豊高校の開校時に発足した同窓会「明豊会」とは、長時間の話し合いを経ることで理解を得、私たちの明星学園同窓会の「ステッラ会」も現状のままで参加することになりました。
以後数々の協力を重ね、苦難を乗り越えた現在、円滑な活動をしています。
ステッラ会役員の尽力のもと、明豊文化祭への協力や野球部へ激励のおぜんざいや地獄蒸し卵のふるまいを行っています。
練習場へ孫を応援するかのように足を運ぶ役員を見るにつけ、合併時の苦労は無駄ではなかったと、感慨深いものです。
ウニオーネ明星支部はSr.ソラリ・カルメラ院長の意にて「ステッラ会」と称しています。
そのモットーは「出来る人がしよう」「楽しんでしよう」で、現在同窓生参加人数は35名から40名のこぢんまりとした会です。
少人数ゆえに苦しいこともありますが、役員から「苦しい!」といった声を私は聞いたことがありません。
「地の塩、世の光となれ」と学生時代からの教えは卒業した今も常に私達の心に宿っており、それが今も役員の原動力となっています。
この素晴らしい学園と今からも、これからも、同窓生・役員と共に手を取り、明るい未来に向かい道を進んでいきたいと思っています。
(以上 二回生 吉田 美砂子 記)
ウニオーネ 短大
星美学園短期大学 沿革
「幼小中高と聖母の学舎で教育を受けた少女たちを、18歳で送り出すのは心もとない。
せめて成人式を迎えてから社会に出て、受けた教育を心の糧に、社会や家庭にその光を輝かす女性を育成したい」という
Sr.レティツィア・ベリアッティ(後の初代学長)のお考えから、
1960年 星美学園短期大学家政科を設置 28名の入学者を迎えました。
1963年 保育科新設 10名の入学式が行われました。
1967年 国文科設立 36名が入学。
以後日本社会の情勢や必要性に応じ、学科名の改称や多岐にわたる資格取得のコース充実を図りながら、現在の学科は、幼児保育学科及び専攻科となっています。
2019年 男女共学に移行。
同窓会の歩み
1967年 卒業生有志により同窓会発足が準備され、同年6月に第一回同窓会総会が開催されました。
1972年 上野動物園でパンダが初披露されたこの年、日本のウニオーネが扶助者聖母会同窓会世界連合に加盟し、私たちの同窓会は日本管区ウニオーネ短大となりました。
2021年 この年に史上初めて同窓会に男性会員が2名誕生、2022年も2名が加入しました。
半世紀にわたる歩みを重ねて8,639名の会員を擁するまでになりました。
加治あや子
特徴ある同窓会活動
☆ ウニオーネ短大奨学金制度
2003年、留学生を対象に開始した学資支援寄付金の募集は、2013年より厳しい状況の中で勉学に勤しみ、努力している一般学生を対象に広げ、ウニオーネ短大奨学金として短大に寄付し、学生には大変喜ばれているそうです。
☆ 生命尊重センター「円ブリオ基金」支援
2007年、役員の創意により円ブリオ基金の募金箱を作成したのが始まりで現在まで継続しております。
皆様の暖かいご支援により2022年1月までに911人の赤ちゃんが誕生したとのことです。
素敵な講師を招いて行われる事務局主催の講演会では受付等のお手伝いをしております。
☆ その他の活動
☆ コロナ禍の影響で同窓会総会が開催できないため、神父様にお願いして、帰天された同窓生や教職員の方々のためにミサを捧げて頂きました。
☆ ウニオーネ説明会
☆ 2021年7月に「星美ホーム」の新建物が完成しました。
以前、当時の院長Sr.武石に「何か必要なものはございますか?」と尋ねたところ、「愛です」と即答されたことを鮮明に覚えております。
星美ホームの活動が社会の温かな受け皿としていつまでも続いていくように祈念して、「愛の心」とともに些少の寄付をいたしました。
ウニオーネ 城星
城星学園 沿革
ウニオーネ創立50周年おめでとうございます。 同窓会役員からのメッセージを紹介します。
☆ 大阪城を望む地にシスター方が大変なご苦労の末設立された城星学園は、来年度創立70周年を迎えます。
☆ 今年の58期の卒業生を合わせて7,500人の同窓生。先輩方から受け継がれたサレジアンの精神を、たやすことなく同窓会の発展に努めて参ります。
☆ すべての卒業生が母校に気軽に帰って来られるような企画や、情報発信を行なっていきたいです。
☆ 聖母月になると「お帰りなさい」と迎えてくださる学舎。世代を超えてそれぞれの思いを大切に繋げるウニオーネ。これからもシスターと共に歴史を刻んでいこうと思います。
私たちはサレジオ家族の一員です
1859年、サレジオ修道会(SDB)を創立した聖ヨハネ・ボスコは、女子教育のために聖マリア・マザレロと共にサレジアン・シスターズ(扶助者聖母会FMA)を創立し、更に信徒の会として扶助者聖マリアの会(ADMA)、サレジアニ・コオペラトーリ(ASC)を創立しました。
ドン・ボスコの帰天後も彼の霊性とスタイルを受け継ぎ、それぞれの置かれた場で、若者、とりわけ窮乏の中にいる若者の拠り所として働くグループが次々と生まれ、世界には現在32のグループが活動しています。
日本には左記の四つのグループの他に、イエスのカリタス修道女会(SCG)、ドン・ボスコ女子在俗会(VDB)、サレジオ会同窓会連合(EXDB)、そして私たちウニオーネの8グループが、ドン・ボスコを父親とする家族としてつながり、それぞれに与えられた使命を生きています。
私たちは ウニオーネの一員として 世界とつながっています
1908年、イタリアのトリノでのことです。
当時、シスター方に協力したい、もっと学びたいとオラトリオに通ってきていた卒業生に、Fr.フィリッポ・リナルディ(後にサレジオ会第4代総長)は同窓会を作るようにと提案し、それを受けて20名程の卒業生による同窓会が発足しました。
その後トリノを中心にイタリア各地、そしてヨーロッパ、アメリカ、アジアと次々と同窓会が結成されてきたことから、連携と活性化を図り1920年同窓会世界連合総会を開催。
1921年には全ての同窓生を対象にイタリア本部より機関誌「UNIONE」が刊行され、現在に至るまで相互の連携と精神的養成に大きな役割を果たしています。
(ウニオーネ誌No.66参照)
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